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15歳から活躍する日本の天才プログラマーはどんな家庭環境で育ったのか?

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山中勇成です。慶應義塾大学環境情報学部で学ぶ傍ら、エンジニアとして活動しています。高校1年生の時にドワンゴにスカウトされ、いまはLINE株式会社でエンジニアのアルバイトをしています。

 

自分がパソコンを触り始めたのは、小学生よりも少し前くらい。家に親が仕事で使う用のWindows 98のパソコンが置いてあり、それをいじっていました。ただ、触るといってもそれをバリバリと使っていた訳ではありません。小学生に上がると、算数や国語の勉強用ソフトがあったので、それを使って勉強をしていました。勉強の休み時間にはインターネットで当時流行っていた「おもしろフラッシュ」を見ていました。

 

それから中学1年生くらいまでは、オーディオプレイヤーとか、家にある機械を分解することが趣味でした。ただし、分解しても何の意味も見出せるわけではなく。ただ、メカメカしいものが好きで、その機械を分解したときに中身がどういう風になっているか気になり、色々なものを分解していました。そういうこともあり、機械に興味を持つようになったんです。

 

厨二病の山中少年が”天才プログラマー”になるまで。

 

自分がプログラミングと出会ったのは、中学2年生になるころ。母親の会社の友人の方から「プログラミングに興味ある?」と言われ、プログラミングというものがあることを知りました。その時、ちょうどよくテレビで『ブラッディ・マンデイ』というドラマが始まります。自分はこのドラマの虜になります。主人公がパソコンをつぎつぎとハッキングしていって、問題を解決していく。厨二病をこじらせていた側面も少しありましたが、黒い画面にズラズラ並ぶコードの列を見て、「こりゃかっこいいぞ!」と。これが、自分がプログラミングを始めるきっかけになりました。

 

ただ、プログラミングってどう始めればいいかわからない。とりあえず、難しいけれども幅広く色々なことができる「C言語」を始めます。使わなかった図書カードで3000円くらいの本を買って、見よう見まねでパソコンをいじります。けれど、どれもこれも中学生には難しすぎて一度C言語は諦めました。ただ、それでも諦めずに、今度はWebサイトを作ろうと思い立ちます。Webサイト、その時自分が作りたいと思っていたサイトのイメージがあったんです。その頭の中にあるサイト像に近づけるにはどうすればいいか、考えながら知識を蓄えていったら今度はうまくいきました。

 

すると面白いことに、一度成功体験を感じると、「もっと作りたい!」という意欲が心の底から湧いてくるんです。成長期の中学生のくせに、ご飯を食べないでパソコンにガッツリ向き合っていたときもありました。幸い物覚えがよかったので、プログラミングの知識や能力の基礎は中学時代に培うことができました。

 

また、中学時代に「どうしても作りたい!」と思ったサービスを作ることができました。当時はニコニコ生放送ができ始めたばかりの頃。今なら当たり前に過去の放送の録画も見ることができます。ただ、当時は過去の放送を見逃したら、「見逃しちゃった…..」と落ち込むことしかできなかったんです。自分も放送を見逃してショックを受けることがあって….そのデカすぎるショックを受け続けるうちに、過去の見逃した生放送を後から見ることができるサービスを作りたい!と思い立ちました。

 

結果的に自分がつくったのは、例えば、30分番組だったら、生放送の映像の1分につき1枚の写真を撮影して、生放送中に書き込まれたコメントを合わせて表示するサービスです。「その生放送ではどんなことが起きたのか」ということを一目で把握することができる。そういうサイトをつくりました。加えて、当時のニコニコ動画はセキュリティが脆弱であることにも気づいていました。そういったセキュリティの穴を見つけて報告する活動も行っていました。

 

15歳でプロのエンジニアとしてドワンゴへ入社!

すると、高校1年の夏に、「ぜひともドワンゴを見学しに来ませんか?」とメールが届きます。ただ、これまで自分はセキュリティの穴をかいくぐり過ぎたので、「俺、ひょっとしたら怒られるんじゃないかなぁ」と思っていて。ただ、意外と行ってみたら、普通に会社見学をさせて頂きました。さらにビックリしたことに、ドワンゴの川上会長に、「うちで働いてみないか?」と手招きされたんです。それが契機で、15歳なのにドワンゴで働くことが決まりました。

 

ドワンゴに入社してからは、研究開発に携わらせていただいていました。サービスが世の中に出ていく際にセキュリティ面に脆弱性がないかを確認したり、社内ツールを開発したり、動画配信待機の効率化を図ったり。ただ、ドワンゴで働くということは、同時にその道のプロとも一緒に働くということです。やはり、自分自身はまだまだプログラミング系の知識が浅かったことを痛感しました。結局、高校1年生から高校3年生までドワンゴで働かせて頂き、様々なことを勉強をさせて頂きました。

 

結局、高校1年生から高校3年生までドワンゴで働かせて頂き、様々なことを勉強をさせて頂きました。

 

日本のネット配信を支える「裏方エンジニア」として。

 

ここから大学生になってからの話になります。自分は、慶應義塾大学の環境情報学部(SFC)に入学しました。慶應のSFCとは非常に他の大学と比べて特殊で、1年生から研究会に所属することができたり、必修も少なかったり、自分の好きなことを探究をすることのできる環境に恵まれていました。僕は、なるべく大学に行かないで単位をとれるように授業履修を組んだりして、学外で活動をしていました。そのおかげで、大学1年生から大学2年生まではcookpadでエンジニアをしていました。また、今まで僕はアプリなどのソフトウェア寄りの開発をしてきたので、せっかく大学でしかできない勉強をしようと思い、ハードウェアの研究に取り組み始めます。「日本のインターネットの父」と言われる村井純先生の研究会で、4K映像に関する研究をしていました。そして現在4年生になり、就職活動や卒業論文を控えるようになりました。就活はとりあえずしていますが、どの進路を選ぶかについては、今の所一つに絞らず考えていきたいと思っています。ただ、「自分の作りたいものを作る」というスタンスを変えないようにしていきます。

 

これからもエンジニアとして色々なものを作っていくと思いますが、僕は基本的に表舞台ではなく、常に裏方のような働き方をしていきたいです。たとえばネット配信を支えるインフラを整えたり。ネット配信って、一方的に情報を流すだけのテレビとは違い、情報が双方向にやりとりされます。コメントで配信している人とコミュニケーションをとることもできますし、その放送を見ている人同士でも楽しむことができます。それができるのはネット配信の強みだと思います。ニコニコ生放送、Ustream、ツイキャス。これらのネット配信サービスができて数年経ちます。確かにテレビを見る人は減少していますが、このようなネット配信サービスを利用する人が拡大しているわけではありません。だからこそ、今後ネット配信サービスがどうなっていくかを見ていきたいですし、自分もネット配信を支える裏方として、より良いサービスを作り出していきたいです。

 

サービスをボロクソに言ってくれる人も大感謝。

もちろん、自分のために作ることは大事ですが、同時にユーザーさんが使ってくれるサービスも作っていきたいです。僕は、自分の作ったサービスをユーザーの皆さんに使って頂くことが嬉しいんです。また、アプリとかサービスってレビューがつくじゃないですか。もちろん、ボロクソに言われることもあります。けれども、それってボロクソに言ってくれるくらい僕のサービスを使ってくれて、「もっと良くしてほしい」と思って頂けているということです。それって本当に嬉しいです。だからこそ、期待に応えたい。自分がやりたいことができて、そしてユーザーさんにも使っていただける、そんなエンジニアになりたいです。

 

自分がやりたいことができて、そしてユーザーさんにも使っていただける、そんなエンジニアになりたいです。

 

LAVIE Hybrid ZEROにひとこと。

 

やっぱり、軽いから持ち歩いちゃいますね。いままで使っていたパソコンと併せて2台持って仕事に向かったりとか。ただ、それでも全然持っていて重さが気になりません。最近このLAVIEを使っていて思うのですが、薄さと軽さを追求しているからこそ、強度が気になります。強度もしっかり考えて設計しているのだとは思いますが、使っている側としては、ちょっとヒヤヒヤしちゃったり。けど、800gの軽さは魅力的です。

 

Microsoft Office 2016にひとこと。

 

基本的に文章・表計算ツールは請求書を使うくらいにしか使わないのですが、強いて言うなら、Officeの魅力的なポイントは、さまざまなフォントを周辺機器に反映できるところだと思います。フォントが印刷機にもしっかりと反映されて、そのまま印刷できます。仕様で印刷した時にフォントが反映されないソフトっていっぱいあると思います。それでも、Officeはいろんな人が使っている分、さまざまな周辺機器に対応しているので、使い勝手が良いです。

 

ライター名:中央大学法学部1年 西村歩

 

下記画像をクリックしてLAVIE Hybrid ZERO 紹介ページへ

 

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